1973年、京都市に生まれました。母方の祖父母の近くの家に、両親と兄二人(8歳上と3歳上)と共に暮らしていました。父は公務員(区役所)、母はコンランドリーの自営業を営んでいました。

小学校に入る前、子供好きの母方の祖父に、色んな所に連れて行ってもらいました。私は祖父が大好きでしたが、突然キレる人だったので、観光地で大勢の人の前で大声で怒鳴りつけられるという経験を度々して、恥ずかしさ、惨めさ、恐怖を感じていました。

小学校に入ると勉強ができなくて、居残りさせられたり、立たされたり、先生から怒られるようになりました。ひいきの激しい先生で、私は冷たくされることが多く、世間とは厳しいもんなんだとショックを受けました。そして「自分は落ちこぼれで恥ずかしい人間だ」と感じるようになりました。また、運動も苦手で、人見知りで人話すことも苦手だったので「私ほどダメな人間はいない!」「私の人生は終わっている!」といつも頭の中で呟くようになりました。

クラスメートからも相手にされず、おとなしくて目立たなかったので「いたの?」と言われることもよくあり、存在感がないことに強いコンプレックスがありました。この世で一番自分のことが嫌いで、そして、自分のことを劣等感の塊だと感じていました。「ダメな自分を変えたい」と思いながらも、勉強のやり方もわからず、自分を表現する方法も努力の仕方もわからず、悶々とした毎日を送っていました。 

でもある時、そんな自分があまりにも惨めで可哀想だと感じ、クラスメートに会わない休みの日くらいは、少女漫画のお姫様みたいな空想をしてもいいんじゃないかと思いつきました。そして、いつも学校ではジャージやキュロットスカートを履いていましたが、父と母と出かける時は、スカートやワンピースを着て「私はお姫様♡」と思いながら街を歩くことにしました。そうすると、いつもの街が全然違う風景に見えました。そして、不思議と周りの人もそんな風に自分を扱ってくれるような気がしました。そんなことを繰り返していくうちに、自分の中にはダメな自分だけじゃなく、素敵な部分、素敵な瞬間の自分もあるのだとほんの少しだけ認められるようになりました。 

小学校5年生の時に、兄の影響でプロレスに興味を持ち、女子プロレスファンになりました。当時はクラッシュギャルズが人気でした。私もそんなカッコよくて強い女性になりたいと強く憧れ、プロレスラーになろうと思い、思いきってクラスメートにも公言しました。おとなしくて存在感のない自分の殻を破りたくて、暗闇でもがいていた私が、恥ずかくてもカッコ悪くても自分を表現して行こうと勇気を出した行動でした。その結果、クラスメートたちが驚きながらも反応してくれたことで、自分がここにいるという事に少し気づいてもらえた気がしました。そして、頑張って自分の気持ちを言えたことで、大嫌いだった自分をまた少しだけ認めてあげることができました。

その頃から3つ上の兄が行っていた個人経営の塾に行くことになりました。私は自分が頭の悪い人間だと信じていましたが、そんな私でも人の何倍も時間をかけることで効果が出るということを先生に言われ、勉強をしてみようと思いました。そうして落ちこぼれだった私が、休みの日には10時間以上も勉強をするようになりました。その時の私は「落ちこぼれだった私をバカにした奴を見返してやりたい!」というドロドロした劣等感をエネルギーにしてやる気を出していました。そして、成績が上がり始めると、もう少し自分のことを認められるようになり、同時に周りの人が私を見る目が明らかに変わっていくのを感じ、それまでより丁寧に扱われるのを実感しました。ずっと暗闇だった自分の世界に光が見えたような気がしました。 

塾の先生は親子ほど年の離れたおじさんでした。私は先生に特別に気に入られ、よく目をかけてもらいましたが、中学の頃から私への愛情表現という名目で、セクハラをされるようになりました。最初はハグをされる程度でしたが、次第に服に手を入れられて胸を触られたり、太ももを触られたり、無理やりキスをされたりもしました。ファーストキスでした。気持ち悪くて口を何度も洗いました。でも、私の世界に光を与えてくれた先生を無下に扱えず、拒む事が出来ませんでした。母は先生をすごく信頼していたので、母にも心配かけまいと黙っていました。「私は変わるために悪魔に魂を売っているんだ。暗闇から這い上がるためには仕方ないんだ」と自分に言い聞かせて耐える毎日でした。

そうして数年間耐えて、頑張って高校に入った私は、落ちこぼれではなく、みんなから明るい優等生だと見られるようになっていました。

一方、家では8つ上の兄が問題を起こすようになりました。8つ上の兄は小さい頃から学校でずっといじめられていたのですが、家ではそのストレスで暴力を振るったり、物を破壊するようになり、次第に不登校で家に引きこもるようになりました。私は常に兄をキレささないようにビクビクしながら生活するようになりました。 

そんな中、父が肝臓ガンになり2年の闘病の後、私が高校に入ってすぐに亡くなりました。父が亡くなった時、多額の借金を残したことと、生前ずっと浮気を繰り返していたことが発覚しました。祖父(母の父) もずっと浮気をしていて、いつも女性に給料の全てを貢いでいたので、祖父の様な人だけは選ぶまいと思っていた母は、父に裏切られたと知った事で精神的に不安定になり、すぐ男性と交際を始めました。母はその頃から家の掃除も全くしなくなり、夜は出かけることが多く、あまりご飯も作ってくれなくなりました。

私たち家族は、母が営んでいるコインランドリーの空間の奥にある4畳半くらいの居間で生活していて、 両替を受けるためにいつも居間のドアを全開にしていました。夜は母は彼氏と遊びに行き、兄達は2階でゲームをしていることが多かったので、部屋のない私だけが一階にいて、いつも店番をしていました。コインランドリーで洗濯を待っている人にとっては、住居が奥にあるのが不思議に思うらしく、また居間に置いてあるテレビを身を乗り出して見ている人も多かったので、不特定多数の人からいつも部屋の中を覗かれているという変わった状況で、毎日暮らしていました。 反社会勢力の事務所が近くにあり、組員の人もよく洗濯に来ていました。両替を手渡しする時に、 何本か指のない手の平に小銭を置くこともよくありました。別のお客さんから頼まれて、乾燥が終わった組員の人の服を、ドキドキしながら乾燥機から出してよく畳んでいました。小学校の頃から店番をしていた私は、怖いけれど、いつも頑張って平静を装って、粗相をしないようにと全神経を集中していました。また、我が家の洗濯物も毎日コインランドリーで洗っていたので、思春期になると下着を盗まれることが日常茶飯事でした。男性客から舐め回すように見られたり「遊びに行こう」と声をかけられることもしょっちゅうありました。

母の彼氏は昼間は我が家の一室を占領し、居つくようになりました。寂しい母には男の人が必要だからと自分に言い聞かせ、母の選んだ人だから仲良くなろうと努力をし、時には母に勧められてその彼氏と二人で、北海道旅行やスキー旅行に行ったこともありました。でも、次第におじさんも短気な面が出始めて「口で分からへんのやったら、わかるようにしてやろうか!」と口癖のように言うようになりました。母と一緒にそのおじさんの車に乗ると、女は支度が遅い!とイライラして、怒りに震えて、わざと大通りの反対車線を爆走するような人でした。 そんな姿を見るようになって、私は母を守りたいが一心で、おじさんに立ち向かうことが多くなり、暴力を振るわれるようになりました。母はおじさんではなく私を止めることに必死で、私にばかり「頼むからやめて!」と叫ぶので、報われないやり場のない思いに悶々としていました。 

母は家のことをあまりしないので、家の中は物が溢れているだけじゃなく、ホコリや髪の毛などの量もすごく、猫を飼っていたので、猫の毛やマーキングなどの匂いもそこらじゅうからしているひどい状態でした。ダイニングテーブルの上にも物が溢れ、スペースがなく、ご飯を食べていると必ず箸を2、3回落としていました。落とした箸には髪の毛やホコリがべったりと付いていて、その度に洗いに行かなければならなかったので、私はご飯を食べているときは常にイライラしていました。時にはダニが大量に発生して、体中を刺されることが度々ありました。痒くて痒くて、気が狂いそうで、叫びながら一日20回以上もシャワーを浴びることもありました。修学旅行前には、全身100個近く、ダニに刺されて腫れ上がっていました。こんな体でみんなとお風呂に入るのは嫌だ!と泣きながら母親に訴えていましたが、母の行動が変わることはありませんでした。次第に私は、家が汚いことを母が自分を大切にしてくれていないと考えるようになりました。 

私が高校生の頃、ずっと引きこもっていた8つ上の兄の精神状態がさらに悪くなって、家でキレて度々包丁を振り回すようになりました。兄を怒らせないように気を使って毎日過ごしているのに、なぜか兄の勘に触るので、どうしたらいいかわからず、自分を出さないようにすることを心がけていました。時には「死んでくれたら良いのに」と願うこともありました。兄は家で一番体が大きかったので、誰にも抑えることができず、いつも恐怖を感じていました。でも「助けて!」と言うと母やもう1人の兄が刺されてしまいそうな気がして、「怖い」も「助けて」も絶対口に出さないように我慢していました。そして、いつも一歩引いて、客観的にその光景を見ることで、冷静さを保ち、感情を感じないようにしていました。「刺されるかもしれない!」という究極にピンチの状態で「明日はついに、新聞の3面記事に我が家が載ってしまうんじゃないか?そうしたら、クラスメートがびっくりするかな?気まずいな」なんてことを他人事のように考えて、いつも平静を装っていました。 

そして、当時、そういった環境の中で命の大切さを痛感した私は、神様に生かされているという思いが強くなりました。家で毎日の様に自分や家族の命の危険を感じながら、今ある幸せを見つけて、その幸せを意識的に感じる事で、前向きに生きることができていました。毎日、寝る前には神様に「ありがとうございます」とお礼を言い、世界中の人たちが平和に暮らせる様にと手を合わせることを日課にしていました。 

やがて、兄の症状がさらにひどくなり、何かに怯えてブツブツ喋りながら、部屋中徘徊を繰り返し、睡眠も食事もできないような状態になりました。そして、ずっと病院に行くのを拒否していた兄を何とか病院に連れて行くことができました。統合失調症という診断がくだりました。兄はそれから薬を飲むようになり、幻覚を抑えられるようになり、包丁を振り回すことも随分減りました。
(※兄は統合失調症になる前から暴力的だったので、その症状が幻覚、幻聴でよりひどくなったので、統合失調症の方が暴力的ということではありません。誤解をしないようにお願いします。)

アニメオタクだった兄の部屋はアニメの雑誌やフィギアや様々なもので 溢れかえっていました。母は家の片付けは全くしないので、兄の部屋に干渉するようなこともありませんでした。時々、兄の友達が家に来て、自分の家に持って帰ったら家族に怒られるからと、「エロ本」を置いていくのですが、その数がどんどん増えていって「エロ本」が広げたまま何重にも重なって、絨毯が見えない状態の部屋になっていきました。私の家は狭くて部屋数が少なかったので、私は部屋がなく、中学、高校の間は、そんな兄の部屋の2段ベッドの下で寝かされていたので、 毎日、「エロ本」の山を踏みながら、ベッドに入っていました。おびただしい数の「エロ本」は全て漫画で「ロリコン、SM、レイプ」といった題材の物でした。私は思春期で初めて性の情報に触れたのがそれらだったので、性はとても汚れていて、悲しくて、悪いものなのだと認識するようになりました。 

また、兄の幼馴染で兄と同じようにいじめらていて、高校の頃から家庭内暴力や問題行動を起こすような友達がいました。我が家から海外にいたずら電話をして、我が家に何十万円もの請求が来たり、我が家にも一日100回以上のいたずら電話をしてきたり、遊びに来た時に兄の部屋で大便をしたりと、 彼の異常行動に、私たち家族はずっと悩まされていました。やがて彼は、精神を患い入退院を繰り返し、次第に病院から出ることがなくなっていきましたが、病院から時々、寂しくて我が家に電話をしてきました。身内以外の女性と触れ合う機会がなかった彼は、一番身近な女性として私を思い出したのか、次第に私を名指しするようになりました。「妹さんかわいいね。病院から出られたら必ず会いに行くからと伝えてくれ」と何度も言われるようになり、私はあらゆるところで女性として危険にさらされているんだと感じていました。でも、こういったことも、家の深刻な状況も、あまり深く考えないように努めていました。そして、外での自分を頑張ることで心のバランスを取っていました。 

兄も、実在する女性には話す機会すらないけれど、女性に対する憧れは強まるばかりで、次第に女装をして、欲求を満たすようになりました。女性物のブラジャーとショーツをつけ、ボディコンの服を着て女性になりきり、外出するようになりました。私も母も兄が女装をするのは反対ではなかったんですが、兄は、毛深くて、髪の毛もいつもボサボサの長髪で、お風呂も1ヶ月以上も入らない人だったので、街を歩いているのを見かけると、みんな異様な雰囲気を感じてヒソヒソ指を指したり、関わたくないと慌てて避けて通っている様子でした。私は高校では優等生の自分を頑張っていたので、家の状態はバレないように必死で隠していました。当時は優等生だった私に過剰にいいイメージを持ってくれている人も多かったので、紫や赤の三揃えのスーツを着るすごいインパクトの母の彼氏や、宮崎勤死刑囚が女装したようだと近所で噂されていた兄が自分の家族だとバレたらどうしようといつもヒヤヒヤしていました。 

そんな私は必死で「学校での自分」を頑張っていました。先生たちからも優等生でいい子だと思われていて、この頃には、中学の頃に考えていた「落ちこぼれだった私をバカにした奴を見返してやりたい!」という気持ちはほぼ無くなっていて、母のために頑張っていました。父に先立たれ、兄も大変な状況で、私だけは母に希望を見せてあげたいと思い必死で勉強をしていました。そして運にも味方されて名門私立大学に入学しました。

ところが、大学に入った途端、私の自信は喪失しました。優等生キャラになれて「できる私」に なったつもりでいたのに、大学は優等生の集まりでした。そして、中学の時からずっといい大学に入ることだけを目標にして頑張ってきたのに、途端に目標がなくなって、何をしたらいいのかもわからず、糸が切れたように無気力になってしまいました。また、小学校の最初のような「私なんてダメだ」「私は人に気づいてもらえない、存在する価値のない人間だ」と思うようになりました。友達と入ったサークルもすぐやめ、バイトを始める勇気も無く、家の中でずっと落ち込んでいました。

しばらくして、どうしたらこの暗闇から抜け出せるんだろうと考えました。そして、化粧をして、女性らしくすることで人に認めてもらえるかも知れないという考えに至りました。毎日、何時間も鏡を見て化粧の練習をしました。服を買うお金がなかったので、古着を買って自分に合わせてリフォームをしたり、パリコレの雑誌を見て、洋服を独学でデザインして服を作り、被服の専門学校に通う友達よりも多くの服を作っていました。そして、大学には当時流行っていた、今井美樹のようなソバージュと赤い口紅、自分で作ったスーツにハイヒールという派手な格好で通うようになりました。そうすると、それまで私を眼中にも入れなかった男のクラスメートが、女性として丁寧に扱ってくれるのを感じました。合コン好きの友達に誘われるコンパでも、以前は全く相手にされてないと傷つくことが多かったのに、自分が好意を持った人が、向こうから誘ってくれるようになりました。服装や容姿を変えることで、自分自身の気持ちも変わり、そして相手の反応が明らかに変わるのが、とても面白いと思いました。そして、小学校時代にやっていた「私はお姫様♡」というのを思い出し、風貌を変えると、自分自身がその風貌になりきってセフルイメージが変わり、周りの反応も変わるんだということを確信しました。 

女性らしいイメージになってからは、男性にもよく告白されるようになり、そのうちの一人と付き合うことになりました。付き合い始めの頃は、相手が自分の事を好きか自信がなく、不安な思いもしましたが、すぐに不安はなくなり、相手のことを信用できるようになり、甘えられるようになりました。恋愛に悩む女友達に「私だったら絶対こうする!」とアドバイスをすると、付き合うことができたり、プロポーズされたりして感謝される事も、よくありました。 

大学を卒業して、よくCMをしているような全国規模の大手住宅メーカーに就職しました。その会社に採用される女性は綺麗な人ばかりだと聞いていましたが、入社してみると全くその通りで、とても容姿端麗な、お嬢様な感じの人たちばかりでした。私は常に家庭環境が良くなかったので、 家柄にコンプレックスがあり、もともと容姿にもコンプレックスがあったので、途端にまた「私なんてダメ」「ここにいる価値がない人間だ」という思考に戻ってしまいました。大学時代に培った、女性らしく華やかに見せる事で保っていた自信は、またあっという間に崩れ去りました。 次は私は何を頑張れば自信を取り戻せるんだろうと、また自分を見失ってしまいました。

入社してからは、人間関係でもかなり苦労しました。当時、教育担当の女性の先輩に意地悪され、仕事を教えてもらえないことも度々ありました。上司の男性は、自分が風俗に行っているのをいつも自慢げに話す人で、所長の前ではペコペコして、所長の機嫌が悪いと私に怒鳴り散らしました。私がパソコンを入力していると、後ろから間違えないかをずっと監視して、間違えたら「ほら!やっぱり間違えた!!」と手を叩いて喜びました。「お前、昔、いじめられっ子やったやろ!俺はいじめっ子やってん。俺、お前が男やったら絶対いじめてるわ!」 と嬉しそうに言われた事もありました。とてもショックでした。でも、傷ついているのを知られるのが悔しくて、大丈夫なふりをして平静を装っていました。 

会社に沢山いる営業の人達は、ふざけた噂話が大好きで、私がシンナーをしてるから、いつもラリっていて目つきがヤバい!という噂話をしてみんなで話して盛り上がっていました。制服のタイトスカートでしゃがんだ時にパンツが見えた!と喜んで言われる事もありました。営業所旅行では、男性社員とフィーリングカップル5対5をやらされて、キス!キス!とコールされたり、男性社員に無理やりお姫様抱っこをされ、所長にブラウスのボタンを外されたりもしました。あまりにもショックで、会社帰りに図書館に行って、上司や会社の人たちをセクハラやパワハラで訴えられないかと毎日、調べたりしていました。そんな中、重要な仕事を任されることになり、私をいじめると言っていた大嫌いな上司と協力しなければならなくなりました。割り切って、腹をくくり、上司に心を開いて頼ることにしました。そうるすと、一年後には上司の態度が180度変わり、すごく私を丁寧に扱ってくれ、認めてくれるようになりました。自分が変わると相手がかわるんだという事を目の当たりにして、とても衝撃を受けました。

その後、結婚、出産を経て、ママ友のトラブルやご近所トラブルにも巻き込まれ、旦那さんとのことや子育てのことでも悩みました。

(このあたりの話は昔ブログに書いたので、良かったらそちらを見てください→https://ameblo.jp/timoshin/

自分は人に迷惑かけない、人に嫌な思いをさせないということを心がけ、日々暮らしているのに、なぜこんなに私の周りには問題が起きるんだろうと悩んで生きてきました。そして、私が問題を引き寄せているのかもしれないという思いにたどり着き、自分が変わることで、問題が起きなくなるかもしれないと思い、心理カウンセリングの勉強をしました。

問題児だった兄は私が33歳の時に心臓麻痺で亡くなり、一番最初のトラウマの原因だった祖父も、思春期に悩みの種だった母の彼氏も、もうこの世を去っていますが、子供の頃の心の傷が今の悩みに密接につながっている事がわかり、とても衝撃を受けました。

また、私の人生でうまくいったことも、うまくいかなかったことも、その原因のほとんどは思考にあったんだということが腑に落ち、その後、自分の問題がどんどんクリアになっていきました。

そして今、しんどい思いをされている方の役に立ちたいと思い、心理カウンセラー、セミナー講師としての活動をしています。

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長くなりましたが、自己開示をすることで悩まれている方のヒントになれるかも知れないという思いがあり、辛かった過去、トラウマについて書き綴ってみました。もちろん、私の人生には辛いことばかりではなく、楽しかったこともあり、ありがたい人との出会いもありました。なので、決して悲劇のヒロインだったわけではありません。

誰しも人生の中で良いこともあれば、悪いこともあると思います。私は悪い事が起こった事にどう思考して、どう乗り越えていくのかが、その後の人生に大きく影響すると思っています。一人でも多くの方が自分の心と向き合う機会を持ち、悩みの本質に気づき、幸せで安心できる未来が送れることを心から願っています。

そのために今はyoutubeでの発信を頑張っています。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。